伏見天皇関連エントリー

伏見天皇襲撃未遂事件

鎌倉時代の末ごろ、伏見天皇という人が、賊の襲撃を受けそうになって、女装で逃れたという話があります。賊は浅原為頼を頭目とする武士たちなのですが、その背後関係は、鎌倉幕府の北条氏なのか、のちの南北朝時代の元になったような朝廷内の対立関係なのか ...

伏見天皇襲撃未遂事件

第六回日本の古寺めぐりシリーズ・鰐淵寺と華蔵寺3

... 自分の子である後宇多天皇のとき上皇となり院政をとるが、そのあと、持明院統の伏見天皇が即位すると、後深草院が院政を開始したため、亀山上皇はその後後嵯峨帝が造営した離宮禅林院を自ら寺院化した南禅寺で40歳の時出家し ...

第六回日本の古寺めぐりシリーズ・鰐淵寺と華蔵寺3

出光美術館「文字の力・書のチカラ」展を見てきました、の巻

... 作品展の前に行かないとね! ところで、今回の展覧会で一番印象に残ったのは、伏見天皇の古今和歌集を書いた巻物でした。 優雅でおおらかで、見ているこちらの気持ちが洗われるような、清らかな文字。 ...

出光美術館「文字の力・書のチカラ」展を見てきました、の巻

あれこれ

... また、このあいだ出光美術館で拝見したのですが、伏見天皇筆の「筑後切」は最高に美しいです。伏見天皇こそ真の能書であらせられたと思います。(「蘭亭序」の美しさは私には分からない…。) ●玉三郎さんが4月に帝国ホテルでディナーショーをなさる ...

あれこれ

「文字の力・書のチカラ」

... 伏見天皇「 筑後切 」鎌倉時代、後陽成天皇「 和歌色紙 」桃山時代。など天皇の書もまとめて展示してあるのも観やすく親切。 ... 鎌倉時代の能書として知られる伏見天皇(1265~1317)の書は、平安時代を代表する二人の能書 ...

「文字の力・書のチカラ」

伏見天皇とは?

伏見天皇(ふしみてんのう、文永2年4月23日 (旧暦) 4月23日(1265年5月10日) - 文保元年9月3日 (旧暦) 9月3日(1317年10月8日))は日本の第92代天皇(在位:弘安10年10月21日 (旧暦) 10月21日(1287年11月27日) - 永仁6年7月22日 (旧暦) 7月22日(1298年8月30日))。名は、熈仁(ひろひと)。書道の伏見院流の祖、京極派の有力歌人としても知られる。
後深草天皇の第二皇子。母は、左大臣洞院実雄の娘、玄輝門院・藤原愔子(愔=りっしんべんに音)。持明院統。
:主な妃、皇子女
中宮:西園寺(藤原)※子(※は、金章)(1271-1342)
典侍:三木(源)具氏の娘
典侍:五辻(藤原)経子
第一皇子:胤仁親王(後伏見天皇)(1288-1336)

伏見天皇の詳細

伏見天皇に関するニュース


NHK

醍醐寺:五重塔の内部、13年ぶり公開 今後は毎月29日に--伏見 /京都
毎日新聞
世界文化遺産の醍醐寺(京都市伏見区)で29日、国宝・五重塔の内部が13年ぶりに公開された。 五重塔は醍醐寺に深く帰依した醍醐天皇(在位897~930年)の菩提(ぼだい)を弔うために建立され、951(天暦5)年に完成した、府内最古の木造建築物。 ...
国宝の五重塔内部、29日に一般公開 京都・醍醐寺朝日新聞
京都 醍醐寺五重塔の内部公開NHK

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読売新聞

京都・醍醐寺、五重塔を毎月29日に開扉へ
読売新聞
世界遺産・醍醐寺(京都市伏見区)は11日、平安時代中期に建立された五重塔(国宝)を今月から、毎月29日に開扉すると発表した。参拝者の要望が多かったためで、醍醐天皇(885~930)の月命日に合わせて実施する。塔の開扉は1997年以来になる。 ...
国宝の五重塔、29日に開扉 醍醐寺京都新聞

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五重塔の扉、16年ぶりに開く 「気持ちの安らぎに」醍醐寺、毎月29日 京都
MSN産経ニュース
世界遺産の醍醐寺(京都市伏見区)で、国宝・五重塔の初層(1階)の扉が、醍醐天皇の命日にちなんで今月から、毎月29日に開けられることが決まった。初層の公開は、平成6年以来16年ぶり。「昨年は(開祖・理源大師の)1100年御遠忌という節目の年だったが、 ...


日本の発展の秘密は、日本独自の「風水」にあった!?-韓国
サーチナニュース
特に、東アジア最高の吉相を持つ土地が、京都の明治天皇陵である伏見桃山陵だという著者は、このような日本人の風水観が継続する限り、アジアを越え世界の強国としての日本の地位は安泰だろうと述べている。 また、韓国の土地開発について「風水に依存するのではなく、 ...


殿様の肖像:歴代徳島藩主 13代藩主・蜂須賀斉裕 /徳島
毎日新聞
斉裕は、鳥羽伏見の戦いが発生し、戊辰戦争が始まった1868年初めに、48歳の若さで亡くなってしまう。藩医・関寛斎の記録には、もともと酒が好きだった斉裕が晩年、酒におぼれ、同時にうつ病らしい症状を発していたことが書かれている。 斉裕の死の直前には、戦火は ...